人の発言や行動を見ていると、その奥にある深層心理や精神の発達レベルが見えてくることがあり、その視点を生かした洞察を心がけています。
さて、今回は2019年10月26日の埼玉補選・大宮演説における私人逮捕の話です。
人間の心理を学ぶことができる良い例だと思いましたので、僕の洞察を書きます。
それではさっそく、本題に入りましょう。
【埼玉補選・大宮演説】N国・立花孝志の私人逮捕に学ぶ
このYouTube動画を見て、あなたはどう思いましたか?まだ見てない方は、とりあえず見てください。
・「メンヘラ?」
・「ひどいなこいつは」
・「日の丸掲げて右翼??」
・「公職選挙法も知らない無知な男」
・「また私人逮捕!?」
・「立花さんすげー!」
・「立花やりすぎだろ」
そんなところでしょうか?今、抱いた気持ちを覚えておいてくださいね。
僕はこの動画、人間心理を学ぶために非常に良い例だと思います。
では解説します。
たぶん多くの方が、公職選挙法違反をした鈴木太一容疑者に対して嫌悪感を抱いたはず。取るに足らない、どうしようもない、無知で感情的なやばい奴。思わず鼻で笑っちゃった方も多いのではないでしょうか?
僕が問いたいのはここです。
はたして僕たちは、本当にこの鈴木容疑者のことを笑えるのか?これが今回の記事で僕が一番問いたいことです。
自分はこんな程度の低い奴とは次元が違う。そう思っていたら危険です。
その前に、今回の一件における心理のカラクリを。彼は、あまりに無知でした。立花さんが「法律のことを何も知らない」「勉強してから来いよ」と言っていましたね。
おそらく立花さんの動画を見ている人は、「私人逮捕」「選挙妨害」という言葉の意味を知っている人が多いでしょう。
僕も、動画を見ていて「これは選挙妨害で逮捕だな」と思いました。「完全にこの男が悪いな」「立花さんは正しい」と確信していました。
それは、僕たちは基礎的なことを知っているからです。
鈴木容疑者の主張
「女性を性犯罪から守ることはどうでもいいんですか?」
「犯罪を容認するのが国会議員ですか?」
「売春を取り締まらないとおっしゃいましたよね?」
実は立花さんが過去にこれを言っていたのかは僕は知りません。
普通に聞けば、立花さんがこんなことを言っていたら当然、批判されますよね。性犯罪とか売春とか、感情が優先されやすいから余計そうなります。
しかしN国ウォッチャーのみなさんは、
・公職選挙法の知識をある程度持っている
・立花さんという人間をある程度理解している
ことから、感情が優先されずに、目の前で起きている事の実相をある程度掴むことができていたと思います。
何が大事かというと、僕たちは「ある程度、関連情報を知っている」ということ。
これがいかに大事かということです。
N国や立花さんのことをよく知らない人は、
・やりすぎだ
・立花やばい
・N国怖い
となる人がおそらく多いですよね。マツコ・デラックスさんの「気持ち悪い」発言や、高須院長との対談における発言もまさにこれです。
たぶんこの論理は、N国ウォッチャーの方にはよく理解できるはずです。
で、これを理解した上でもっと大事なのは次の話です。
僕たちは鈴木太一容疑者のことを笑えるのか?
鈴木容疑者のことを心のどこかでバカにしていませんか?
この件に関しては、僕たちは知っているから実相を掴むことができましたが、他の案件だったらどうでしょうか?
・民主主義が一番良い
・絶対に人を殺してはいけない
・不倫は絶対悪だ
・ホリエモンは考え方が変だ
まあ何でもいいんですけど、たとえばこれらに対して、僕たちがN国を知っているのと同様に知識を持っていますか?
戦争や歴史や外交、政治、世界情勢など、さほど知識がないのに「戦争は絶対ダメ」と思っていませんか?N国レベルの知識を持っているでしょうか?
不倫は絶対ダメ?なぜですか?人間とはどんな生き物なのか十分に知っていますか?心理学は?文化人類学は?男とは?女とは?
ホリエモンは理解されない人物の代表格ですが、どこまで彼のことを知っていますか?彼は恐ろしいほどテクノロジーに精通していますが、あなたはどこまで知っていますか?彼の見ている世界が見えていないのは自分の方ではないですか?
僕が言いたいのは、僕たちはあまりに知らないということ。知らないのに平気で判断している。さほど知らないくせに、まるで自分は正しい、自分は悪くない、そして人は悪い。そう思っているということ。
そしてそれは、感情が優先されやすい事柄ほど顕著に現れます。鈴木容疑者はあまりにN国や立花さんを知らずに感情が優先されてしまった。それだけです。
同様に、僕たちも十分に知らないのに感情的に行動していませんか?
それがいかに危険なのかは、N国をよく理解している人にはわかるはず。
僕たちは、鈴木容疑者のように盲目的に感情で動いていないか?ということを常に自分自身に問いかけ続けることが大切だと思うのです。
それを学ぶのにとても良い例だと思いましたので、書かせていただきました。
では、また!