【洞察・心理学】千と千尋の神隠しにアイデンティティーを学ぶ

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映画に込められているさまざまなメッセージを読み解くのはとても楽しい。

スタジオジブリ作品の名作「千と千尋の神隠し」 は、心理学の視点で洞察すると、とても奥深い作品です。

作品自体、子供が見ても面白い上に、心理学の視点を取り入れると、途端に知的好奇心をくすぐられるお見事な映画です。

本題に入る前に、軽く自己紹介を。

この記事を書いている僕は、数々の学びを実践し、自分なりにカスタマイズした学習歴が10年ほど。

心理学を用いた自分づくりを7年以上続けており、人間の深層心理を理解した上で、日々学びを実践し、情報発信しています。

それでは、本題へまいりましょう。

アイデンティティーとは何か?

心理学に通じている方はこの映画の本質をよくご存知かと思いますが、この作品はアイデンティティーを描いています。  

自分は何者なのか?

 

それがアイデンティティー。

「これこそが自分」という感覚ですね。 


・自分は何者なのか?
・どんな生き方をしたいのか?
・何を大切に生きるのか? 


 これらを見つけることで、「これこそが自分」という感覚を得ることができる。

 

この映画ではアイデンティティーを獲得するまでのプロセスをしっかりと描いており、

それを意識して見ることで、自分の人生の課題やヒントを得ることができます。
名作中の名作です。

千尋 → 千 → 千尋

時系列としては、千尋が千になり、また千尋に戻るという流れになりますが、

ここで大事なのは、最初の千尋と後の千尋は違うということです。

 

さあ、おもしろくなってきましたね(*・∀・)

 

 

千尋は湯婆婆に名前を奪われ、「千」という名前を与えられます。  

名前はアイデンティティーの象徴です。

自分を証明するものとしてIDカードというものがありますが、IDカードとはアイデンティティーカードの意味です。


自分は何者なのかを証明するのが、アイデンティティーカードということですね。

 

しかし、千尋はこれから油屋で働くただの一従業員になるわけですから、湯婆婆からすれば大勢のうちのただの一人です。


識別さえできればいいわけですから、コードナンバー001でもいい。

アイデンティティー=名前=自分は何者かなどは不要なのです。

「千尋なんて名前はもったいないよ!」

「お前に名前はいらん!」

「ペリッ!」

と名前を剥がされ、完全に湯婆婆の支配下に置かれてしまいます。

 

つまり、 支配下に置くにはアイデンティティーなど邪魔である=従順に命令を聞くだけの自分を持たない奴の方が都合がいいということ。

これを、アイデンティティーの象徴である名前を奪うという方法で、わかりやすく表現しているんですね。

 

その後、千尋は数々の挑戦や冒険の中で成長し、自分というものを確立していく。

 

一度ペリッと剥がされた名前を、最後は自らの手で力強く貼り直し、アイデンティティーを獲得していくという物語です。

 

最初と後の「千尋」が違うというのは、最初の千尋はただ親に与えられた名前であって、

後の千尋は、ただの名前ではなく、「私は千尋だ!」という確固たるアイデンティティーの象徴という意味合いです。

 

この映画は、そんな千尋の精神的な成長を描いた物語なんですね。 

現代社会は気付かないうちにどんどん僕たちを支配してきます。

 

映画「マトリックス」のように、マトリックスに気付かない人は支配されたままですが、気付いた人だけが自由になれるチャンスがあるのです。

我々は、社会通念や仕組み、制度、決まり、文化、習わし、風習などなどにより、

知らず識らずのうちにアイデンティティーを失い、

支配されており、この映画の中で様々な形にして表現しています。

 

あなたは何かに支配されていませんか?

支配されていることに気付いていますか?


宮崎駿監督のそんなメッセージが聞こえてくるようです。

自分が自分であるということは、実はとてもすごいことなんですね。

自分を失うことの恐ろしさ

ハクが千を(豚の)両親に会わせたあと、千におにぎりを渡すシーンがあるのですが、僕はこのシーンが好きです。

「辛かったろう。さあ、お食べ。」と渡したおにぎりを、千はモリモリと食べらながらも「うわーん!」と号泣してしまうんですが、

気が緩んで人間らしい感情が溢れる姿が琴線に触れるんですよね。

 

この場面で、ハクは千が油屋に来る前に着ていた服を渡します。


服と一緒に友達にもらったカードもあり、千尋という名前が書いてあるのに気づきます。

 

千「千尋?千尋って私の名だわ!」

ハク「湯婆婆は相手の名前を奪って支配するんだ。いつもは千でいて、本当の名前はしっかり隠しておくんだよ。」

千「私、もう取られかけていた。千になりかけてたもん。」

ハク「名を奪われると帰り道がわからなくなるんだよ。」

 

この一連の会話が「千と千尋の神隠し」という映画の肝を説明してくれています。

「名前」を「アイデンティティー」に置き換えてみると、

 

「湯婆婆は相手のアイデンティティーを奪って支配するんだ。
いつもは千でいて(支配されてるフリをして)、本当のアイデンティティーはしっかり隠しておくんだよ。」

 

アイデンティティーを奪われると帰り道がわからなくなるんだよ。」(一生自分らしく生きることができなくなるんだよ)

 

自分を失うことの恐ろしさに気づかせてくれます。

 

そして同時に、「支配されないこと」「自立した人間になること」それが自分らしく生きるための大事な条件だということを示唆してくれています。

 

カオナシの存在で宮崎駿監督は何を伝えたいのか?

「カオナシ」という強いメッセージ性を持つキャラが出てきます。

 

このカオナシは、アイデンティティーが皆無なんですね。


千に親切にされて好意を持ち、千に金をプレゼントして気を引こうとしたり、

「千、欲しい、千、欲しい」「千はどこだ?千はどこだ?」  と、千の一挙手一投足に振り回されます。

 

河の神が残していった砂金に大喜びする油屋の従業員たちを見て、

カオナシは特殊能力で金を次々と生み出し、金に物を言わせて食いたいだけ食い、豪遊しまくります。

 

ブクブク太って欲望の赴くままに行動し、金の力で操れない千によってしっぺ返しをくらい、素寒貧になります。

 

そして全てを失ったカオナシは、銭婆のところに行く千についていきます。


そのとき、千がリンにこう言います。

「あの人、油屋にいるからいけないのよ」

 

電車の中で、千が座席に座り、カオナシに「おいで」と言うとそれに従い隣に座ります。


暴れまくっていたときと一変し、従順になってしまいます。

 

いかがでしょうか?

 

要約すると、なにも考えず、自分というものを持たず、


あるだけ全ての金を使い、あったらあっただけ食べ続け、


傍若無人に振る舞い、欲しいものは必ず手に入れる。


そして全てを失うとただただ従い続ける。

 

カオナシとは、資本主義社会で本能のままに、なにも考えないで生きる僕たちのような、愚かな人間そのものではありませんか。

 

千が「あの人、油屋にいるからいけないのよ」というセリフがとても深い。


これは「あの人、資本主義社会にいるからいけないのよ」という意味でしょう。

 

名前を奪うことはアイデンティティーを奪うことを意味していますが、

そのアイデンティティーは資本主義社会に支配されることで奪われているのです。

 

資本主義社会の中にいると、カオナシのようにアイデンティティーを失う危険性があるよと。

 

油屋とは、資本主義社会の縮図である。

 

その資本主義社会において、僕たちはカオナシのように生きていませんか?

 

カオナシのように極端でなくても、給料やボーナスをもらったら全て使い、

ブクブク太ったり病気になるほど食べたいだけ食べ、

金を払う方が偉いだろと言わんばかりに時には上から目線で振舞い、

強いものには逆らわずご機嫌を取る。

 

そんな生き方していませんか?

 

それに気づいていますか?

 

宮崎駿監督は、カオナシにそんな強烈なメッセージを込めていると思います。

 

それはアイデンティティーを持たない一個人に対して警鐘を鳴らすとともに、資本主義社会への批判でもあると捉えます。

 

「あの人、油屋にいるからいけないのよ」がやはり秀逸。

 

「資本主義社会から出ていくという選択もあるんだよ」と僕には聞こえます。

 

いや〜、本当に深い。

 

宮崎駿監督おそるべし。

常に自分と向き合い、深く内省している方なんだなぁと感じますね。

 

カオナシはたぶん千と対照的な存在として描いているのでしょうが、僕たちはカオナシであることに気づいていない場合が多いのです。


気づかないと一生支配から逃れることはできません。

それに気づかせてくれようとしているのが「千と千尋の神隠し」という作品です。

 

これは自由への第一歩なのです。

 

自由とは「自分に由る(よる)」と書きますが、しっかりと自我を確立し、精神的にも独立した一個人になり、


自分という人間に由って生きることで、真の自由を手にするのだと思います。  

自分を支配するものに気づき、地に足をつけ、アイデンティティーを確立し、一歩一歩確実に前進していこう。


と、この映画を観るたびに毎回思うんですよね。

アイデンティティーを確立するために

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僕自身、アイデンティティーの確立にはとても苦労しました。


この記事にたどり着いたあなたももしかしたらそういう理由なのかもしれませんので、

参考になればと思い、書籍を何冊かご紹介いたします。

その前に僕は、子供時代から学生時代、社会人になってからもずーっとアイデンティティーというものがありませんでした。

それこそカオナシのように他人の一挙手一投足に振り回され、自分の意見などどこにもなかったんです。

人間関係には特に大きな苦労はなく、むしろ人付き合いも上手い方でした。

社会人になり、先輩から〇〇君は付き合いがいいよね。とよく言われたものです。

これは自分づくりを始めてから気づいたことですが、実はそれらの行動は人に嫌われないための行動だったのです。

周囲の人と強調し、事実嫌われることは少なかったのですが、自分らしさなど全くなかったですね。

今でも胸を張ってアイデンティティーが確立していますと言えないレベルかもしれませんが、昔と比べると大きく改善しました。

明らかに昔よりも生きるのが楽になり、自分らしさも実感することができています。


本からの学びが本当に大きかったですので、ご紹介させていただきます。

野口嘉則さんは、僕の大師匠です。

僕が勝手にそう言ってるだけですが、実際に何度かお会いしたこともあり、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。

千と千尋の神隠しとアイデンティティーの話もこの本に出てきます。
僕のバイブルとも言える一冊です。

 

自分のアイデンティティーを自分で決める生き方をしたのがこの親鸞です。

親鸞は自分が凡夫であることを自覚していました。
私は愚かであると言い切り、自らを愚禿(ぐとく)親鸞と名乗りました。

愚かな禿げという意味ですね。
そして他力本願を掲げて多くの人に希望を与えた人です。

アイデンティティーを学ぶにあたり、いろいろな角度や視点から考えることが大切ですが、親鸞のアイデンティティーは衝撃です。

歎異抄は結構がっつり目に学びましたが、親鸞に、歎異抄に出会えて本当によかったと思っています。

 

ちなみに、野口嘉則さんの「これでいいと心から思える生き方」で、石垣りんさんの詩集「表札など」から「表札」という詩が紹介されています。

「表札」

自分の住むところには
自分で表札を出すに限る

自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。

病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。

旅館に泊つても
部屋の外に名前は出ないが
やがて焼き場の鑵(かま)に入ると
とじた扉の上に
石垣りん殿と札が下がるだろう
そのとき私がこばめるか?

様も
殿も
付いてはいけない、

自分の住む所には
自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。

とても心に響いた詩でしたので、ご紹介させていただきました。


自由に、豊かに、自分の人生をしっかりと生きるために、自分のアイデンティティーは自分で決めたいですね。

僕も千尋のように成長していこう。

では、また!

 

この久石譲さんのDVDめっちゃいいです。
ジブリ音楽のオーケストラコンサートですが、
平原綾香さんも登場します。オススメ!

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