洞察力と専門性
僕は洞察力を身につけるに当たって、「領域を超える」ということを大切にしています。
今の時代において、「自分の専門領域を持っている」という方が活躍する時代になりましたよね。仕事をしている人は、その分野に特化し、なんらかの専門性を持っている人も多数いることでしょう。
専門性を持つこと自体はとても素晴らしいことだと思います。専門性+インターネットという組み合わせで、個人でも稼げる良い時代がやってきました。
しかし、あまりに世間で「何かの専門家になれ」などと騒がれると、僕がひねくれているのかわかりませんが、「本当にそうか?」と思ってしまうというクセがあります(笑)。
何が言いたいかというと、専門家になればなるほど、専門領域以外のことがおろそかになりがちだということです。
この世界は、政治、経済、環境、自然、文化、生命、心理学などなど複数の専門領域が単独で存在しているわけではなく、複雑に絡み合って成り立っています。
とりわけ情報化社会と呼ばれるようになって久しい現代では、数え切れないほどの専門領域に莫大な量の情報が飛び交うようになりました。
専門家になりすぎると、情報の取捨選択を誤る時代なんです。
どの情報を取り入れ、どの情報を切り捨てるか、僕たちは日々、意識している時はもちろん、無意識下においても選択をし続けて生きています。
まず、知ることから全てが始まる
何かを判断し、選択するためには、判断材料が必要です。
そう、情報です。
まずは知ることが大事です。
知らないことは選択できないのですから。
たとえば、日本という国を知らない外国人は、「日本に行こう!」と思うことはありません。なぜなら知らないからです。
伝統文化を大切にし、食文化に興味があり、アニメが大好き。そんな日本にぴったりな人でも日本を知らなければ、日本を選択することはないのです。
僕たちはこのようなことを日々繰り返しています。
一人暮らしで日々の生活に困窮している。余裕など一切なく常にお金が足りない。
そんな人でも携帯では大手の3大キャリアを使っていたりします。格安SIMに切り替えれば月5000円以上安くなるのに。
「知っているか、知らないか」それだけで人生が大きく変わってしまうことがたくさんあります。
基本的な姿勢として、まず知ることを僕は大切にしています。
「無知は罪なり」というソクラテスの言葉を思い知ることが人生において度々ありました。
「もっと早くに知っておきたかった」と思ったことが何度あったでしょうか(笑)
人生、思い通りにはなりませんね。
情報感度を高めることで、良質な情報のシャワーを浴びる。
そんなことを意識しています。
実相を掴みにいく
実相を掴み、正しい選択をする。
これは自分自身が豊かに自由に生きるために重要な要素になります。
矛盾するようですが、「正しい」なんて存在しないと僕は思っていて、
ある程度のざっくりとしたベクトルというような意味で使っています。
いい表現が見つからなくて・・・。
現代社会では、感情で語られ、判断することが多すぎると思っています。
僕は今の不寛容社会が大嫌いで、その結果、実相を掴むことができずに多くの人々が、大きく見誤っているように思えてなりません。
世界はもっと良くなる。
この情報に溢れる時代を、より自由により豊かに生きるための考え方や視点を提供していきたい。そんなことを考えています。
世界の実相を掴むには、多様な専門領域の基礎を網羅的に学び、統括的な洞察力を身につけることが重要になります。
僕の統合的な洞察力はまだまだひよっこレベルではありますが、少しでも「領域を超えた洞察」をお伝えすることができ、僕のライフワークの仲間ができれば嬉しい限りです。
できるだけ広い領域の分野を独自の視点で語ることを心がけます。どうぞよろしくお願いいたします。